親の愛情

母親の手作り

写真は、今日母親、妹夫婦といっしょに食事した時に、母親からもらった物である。
私が右肘の手術をすると聞いて、どうやら手作りで作ってわざわざ持ってきたらしい。

命に別状があるような手術ではないのだが、やはり全身麻酔で、それも大事な右腕の神経の手術とあって、母親はかなり心配していたようだ。

もらった時はなんか何も言えなかった。
親にはかなわない、と思ってしまった。

実は、私は7年前ほどに神経系の薬で右手の神経をやられ字が書けない状態になってしまったことがある。
それだけでなく、それから1年後にはその薬の副作用でとうとう両足までやられて立って歩くことができなくなり、2ヶ月間車いすの生活になったことがある。

当時、私は実家で療養したのだが、歩けなくなった時はそれはもう両親は連日必死だった。

まず、私を車いすに乗せて鹿児島市内の病院を何件も回って診察してもらった。
結果は薬の副作用と分かり、それまで通っていた病院から別の病院に変え、そこの医師の判断で薬自体もがらっと変えられた。

それからは、週に3〜4回リハビリの施設に両親が車で連れて行き、薬が変わったのと連日のリハビリのおかげで7ヶ月後には、多少ぎくしゃくしながらも歩けるようになった。

まったく歩けなくなった時は本当に大変だった。
食事に行く時以外はベッドに寝た切り。
トイレは部屋に簡易トイレを置いてもらい、その後始末は毎朝母親がやっていた。
お風呂は毎晩母親といっしょに入って、背中は母親に流してもらっていた。
また、寝返りを打つ時は「おかあさん!おかあさん!」と私が寝室から叫び、そのたびに母親が私の体を抱きかかえて寝返りを打たせた。

食事に行く時は父親が、「俺の首に腕をまわして、俺の足の上にこずえの足を乗せろ」と言って、まるでダンスするかのような格好で台所まで連れて行ってもらっていた。

なんか、今日もらった母親の手作りのお見舞いを見ていたら、そんなことをふと思い出してしまった。

父親は残念ながら昨年の1月に胃がんで亡くなってしまったが、父親が入院時に自分が私を抱きかかえるようにして台所に連れて行ってたことを、母親に懐かしそうに話していたらしい。

今回もまた病気で親に心配をかけてしまったが、そのたびに親の愛情にはかなわないと思い知らされる。

両親が年とってからは、死んだ時に悔いがないようになるべく頻繁に実家に帰って話していたので、父親が亡くなった時は悲しくはあったが、もっと会って話しておけばよかったという後悔はなかった。

母親もそろそろいい年だ。
やはり亡くなった時に悔いが残らないように、なるべく会ってたくさん話しておくつもりだ。